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「個人」が求められる時代とコミュニティのあり方の変遷

現代は「個性」が強く求められている時代、ということに異論を唱える人は少ないと思う。
あるいは「個人」であること(=アイデンティティ)を要請される時代、と言ってもいいだろう。

僕の最近の興味は、まさにこの「個人」「個性」の時代という事態に向けられている。
「言語化」とキャリア教育、あるいは定常型社会も結局は同じ興味の領域の話なんだけど、
もし真剣に僕の関心を他人に伝えることとなれば、説明が不足している感は否めない。
というわけで僕が本で読んだこと、考えてみたことの整理のために、この記事を書くことにする。

「個人」「個性」の時代と言われる背景


なぜ「個人」「個性」の時代と言われるようになったのか。
今現在、現象として確認できることには、どのようなものがあるか。

・「キャリア教育」にみられる「自らキャリア(人生)を考え、判断する能力」を求める傾向
・「自分の考えを持てる人」「自分の意見を言える人」を称賛する傾向
・「やればできる」「できないのはやらないから」という自己責任論の風潮
・独居老人、孤独死、希薄な人間関係

これらの現象は経済環境のグローバル化により、求められる能力も変容しているという側面と、
本来あったはずのコミュニティが解体されてしまった、という側面とがあるように見える。
他にも多種多様な解釈の方法が可能だとは思うが、「コミュニティ」という観点から、
コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来」の著者の一文を紹介する。

・個人の“ムラ社会化”と孤立
 もう1つの課題は、個人の“ムラ社会化”と孤立です。戦後の日本社会は、農村から都市への人口の大移動がありました。その中で、日本社会は都市の中に“ムラ社会”をつくってきたのです。それが“会社”や“家族”といった閉鎖集団です。この“会社”や“家族”が、実は、戦後の日本の社会保障を支えてきました。しかし、現在、その“会社”や“家族”が、不安定化し、流動化し、“ムラ社会”の単位が個人にまで縮小しています。そうした、孤立化した個人と個人との繋がりを、どう回復していけばよいのか、そのことが、もう1つの大きな課題になってきています。
http://www.gendainoriron.com/op6hiroi.html


僕は厳密に「なぜコミュニティの縮小が起きたか」について説明することはできないが、
上記のような「個人」「個性」の風潮の強まりを表す現象については、
きっと多くの人が感じていることと思う。

ちなみにこんな記事もある。切り口はぜんぜん違うが面白い。
僕は「あらゆる場面で選択を迫られ、あらゆる選択が個性に直結する時代」と読んだ。
(実はまだ第1回~4回までしか読めてないが)
芦田宏直の「ストック情報武装化論」

個人的な体験…「自分」を発信するということ


僕はこの問題に対して今まで生きてきた中でも相当な関心を持っているが、
そのきっかけは、僕自身が経験してきた「不思議な体験」にある。

ここからは僕の個人的な話。

大学時代、僕は就職活動を始める前までひたすらサークルに打ち込んでおり、
本格的に「秋田、秋田」と言いながら動き始めたのは大学4年になってからで、
WE LOVE AKITAに参加したのは4年の1月ごろだった。

しかし、そこから僕の「秋田ネットワーク」は唐突に、しかも急速に広がった。
いろんな人と出会い、語る。一度会っただけの人同士から、また次の出会いが生まれる。


思えば、ゼロダテとの出会いもそうだった。
小林さんという超パワフルな女性の「明日打ち合わせあるけど来る?」の一言がきっかけで。
僕はろくに協力もできなかったけれど、ありがたいことにそのつながりは今でも生きている。


Twitterの影響もすごかった。
いつもお世話になっている「casane・tsumugu」の田宮さんもTwitterで知り合った。
WE LOVE AKITAの飲み会もTwitter経由で10人以上集まった。


僕が不思議に思っていることは、これらの出来事やネットワークの広がりが
たかだか2年くらいのスパンで実現されてしまったこと。
僕がWE LOVE AKITAのHPを制作したのが2009年1月。ようやく3年目にさしかかるところだ。
特に何か成果を残したわけでもないのに、なぜか名刺も溜まってしまっている。

こんなこと、サークルに入り浸っていた約3年間からは想像もつかなかった。
(もちろんその3年間も僕を形成する大切な時間だったのだけれど)

すべては、「僕は秋田に関心があります」と言い始めたこと、
実際にちょっとしたことでも「秋田」に関わる活動を始めたことがきっかけだった。

「発信」することの影響力。これが僕の「不思議な体験」。

「発信」と「行動」がもたらすもの


会社/サークル/同級生の中にいるだけでは、「秋田ネットワーク」は形成されなかった。
コミュニティに属しながら、自分の言いたいことを言う。
それが、たとえ所属するコミュニティの文脈からずれていたとしても。

普段コミュニティ内で為されることのない話題であっても、
もしそこに共通の興味・関心を持つ人がいれば、そこから展開があるかもしれない。
僕の場合、高校の同級生がそうだった。そこから異なるコミュニティとの関係が生まれた。

デジハリ田舎実験室との出会いは、「田舎で働き隊!」への参加までさかのぼる。
後日、参加者向けのSNSに登録し、積極的に情報発信をしていたところ、声をかけてもらった。
誰に行けと言われたわけでもなく、なんとなく言ってみた。そんな感じ。

「個人」が"インターフェース"になる時代


コミュニティの成員として求められるのは、そのコミュニティ内の暗黙知を理解し、
コミュニティを守るためにコミュニティが求める振る舞いをすること。
そこに本来「個人」という概念はない。「○○社の△△さん」という肩書きがつくように。

しかし、僕はどんな場面でもコミュニティとしての役割を全うするだけでなく、
「個人」としての興味・関心を発信し、異なるコミュニティとの橋渡しをしてきた。
(この辺り、「弱い紐帯の強さ」や「プランド・ハプンスタンス」の概念にも近いが本題からはずれる)

僕が関心のあるのは、この「発信」をすることと「橋渡し」の方法である。

僕の場合、そもそも「秋田が好きだ」ということを自覚しなければならなかった。
しかし、それだけでは「会話」は成り立たない。

秋田のどこが好きなのか、秋田をどうしたいのか、どのような価値観を是とするのか、
将来的に秋田とどう関わるのか、現状どのように秋田と関わるつもりなのか。

「秋田が好きだ」という思いをある意味で実証することが求められてくる。

コミュニティの成員であるという前提を脱ぎ捨て、
「個人」として「発信」し、異なるコミュニティと自分(=「個人」)との「橋渡し」をする。


それを行うだけの環境は、少なくとも東京にはあった。

・働き方や生活、価値観や興味・関心が多様。
・密集しているからこそ、距離などの物理的制約があまりない。
・情報インフラが行き届いており、情報の行き来が容易。

このような環境は時代の流れと共に自然に形成されてきたものだと思う。
「個人」がコミュニティを超えて「発信」するのは、今後さらに容易になってくる。

「個人」自体がコミュニティとの橋渡しを行う。
「個人」自体が異なるコミュニティとの"インターフェース"となる。


一方で、「個人」が"インターフェース"にならざるを得ない状況が来ているのではないか。
もしかしたら、旧来の所属するコミュニティをベースとした生き方は行き詰まるかもしれない。
「コミュニティの単位が個人まで縮小した」という指摘は、まさにそのことを危惧している。



以上、僕がなんとなく思っていることを整理してみた。

この後は僕が考え、検証中である「仮説」について言及するが、
予想以上に記事が長くなったので、後日に回すことにする。

続きはこちら:続・「個人」が求められる時代とコミュニティのあり方の変遷
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テーマ : 教育問題について考える
ジャンル : 学校・教育

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カミオーカー

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秋田で幸せな暮らしを考える

秋田県出身海士町在住。
2009年春に某IT企業で
新社会人としてデビュー。
2010年10月末から
海士町でいろいろ勉強中。
2011年度からの
身の振り方を考えながら。

WE LOVE AKITA
デジハリ田舎実験室
農業稲門会
酒屋の息子

Twitter:@kamioka

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