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『「原因」と「結果」の法則』に見る、自己啓発と自己責任論の関係

『「原因」と「結果」の法則』から見る自己啓発の主張



自己啓発本の怖さが自分の中で形になったような気がする。


名著と呼ばれるジェームズ・アレンの『「原因」と「結果」の法則』を読んだ。
Amazonから届いたときには、その薄さに驚いた。100ページもない。

内容もシンプルであり、自己啓発本にありがちな具体例もほとんど載っていない。
それゆえに読み手が自分自身で考えを巡らせる必要が生じてくる。

しかし、すでに『7つの習慣―成功には原則があった!』等を読んでいた僕としては、
そこまで重要な示唆は無かった。ほとんど重複している、と言ってよい。
逆にいえば、最近の自己啓発本は『「原因」と「結果」の法則』の考えを踏襲している、ということかもしれない。
訳者もまえがきでそう書いていたし。

で、その「重複している主張」というのは、簡単に言うと「自分を変えろ」という一言に尽きる。

自分の習慣も、環境も、人付き合いも、人生の成功も、すべては自分の思いの結果である。
だから結果ではなく、思いという原因を改善することに集中しろ。

このスタンスが、先に紹介した二つの本のような自己啓発本の主張の根本となっている。

この考え方はある種合理的というか、希望にあふれている。
つまり、誰でも自分の人生をコントロールすることができる、ということだからだ。
「環境のせいではなく、自分のせいなんだ。」
その気づきは、自分の影響できる範囲に集中するべきであることを教えてくれる。

「自己啓発」が牙を向くとき



ここで僕が「自己啓発」を批判したいのは、その効果についてではない。
「ベストセラーになったのに、一向に成功者は増えていないのではないか」
などというつもりはまったくない。

それはどちらかというと、買った本人が本の内容をすべて実践できていない、というだけの話で、
本がそこまでの責任を取らなければいけないとは、僕は思わない。
「自分」が「自分」にその自己啓発の内容を適用するのは自由にやればいい。

では、例えば「自分以外のもの」が「自分」に自己啓発を強制するときを考えてみる。

「お前もこの自己啓発本読んでみろ」と上司に渡されたら、どうだろう。
上司のお気に入りの本だ。ここまで来れたのはこの本のおかげと言えるほど、上司は影響を受けた
そのときから、僕は「環境のせいではなく、僕のせいなんだ」と考えることを求められる。
そう、「求められる」のだ。上司に。

「自分で自分の人生をコントロールできる」ことを周囲から強制されるとは、どういうことか。

「お前がうまくできないのはお前のせいだ」という論理で攻撃される、ということではないか。

社会生活を営む上で、こんなに恐ろしい状況が他にあるだろうか。

自己啓発書が売れる時代と自己責任論の親和性



ともかく、自己責任論と自己啓発は紙一重であることはわかる。
むしろ、表裏一体というべきかもしれない。

実際、『「原因」と「結果」の法則』には、貧しいものはその心の醜さゆえに貧しい、と書いてある。

これを大学生の就職活動に適用するとこうなるかもしれない。

内定が取れないものはその怠惰さゆえに内定が取れない

これを「当然だ」と思っている人は、きっとめちゃくちゃ多いに違いない。
何を隠そう、僕自身も就職活動真っ最中のころはそう思っていた。
自分の怠惰を改め、内定を取るために、自己啓発の考え方を適用したまでのことだった。

ここでポイントとなるのは、あくまで「自分のため」であるかどうか。
僕は残念ながらミスを犯した。「自己責任」を他人に求め始めたからだ。

原因は、僕自身が「自己責任」を導入することで就職活動に成功したと感じているところにある。
成功してしまったからには、「自己責任」が正しかったと思うのはある意味ふつうの流れと言える。
そして、今度はそれを他人に適用したがる。「これが成功の法則だ」と。

これは、いわゆる"社長本"の「自己責任論」にも類似している。
ベンチャー企業の社長たちは並々ならぬ努力をし、自分のできることをすべてやり、
そうして自分自身の会社を大きくしてきている。少なくとも"普通"とはあまり思えない人生だ。
社長自身の成功の法則の中に「自己責任」やそれに類似したものが含まれる場合は多いはず。
だから、思わず(というかごく自然に)"社長本"に「自己責任論」を書いてしまう。

成功法則とは、成功者の中にしかありえない。
そして、彼らは往々にして「自己責任論」を成功法則としている。
誰だって、自分を正当化したいものだ。
成功者たちは自分を正当化するために、「自己責任論」を唱えるのかもしれない。
ともかく、結果として、世の中に流布される成功法則は自然と「自己責任論」で染まる。
成功も失敗もすべて「自己責任」で片付けられる。

「自己責任論」は、非常にミクロな考え方だ。すべての要因を個々人に求めている。
そして、一つ一つの事象について原因を説明するのに非常に便利だ。
学生の内定率が下がっているのも、精神疾患による休職・退職者が増えているのも、
子どもの学力が落ちている(?)のも、すべて「自己責任論」で説明できる。
困ったことに、それが素人であっても、論じやすいというメリット(?)もある。
成功者は自分の経験に沿わない者を見つけて「だから失敗するんだ」と言えばいいからだ。

逆に、上記のような社会問題を制度や社会構造の"欠陥"としてマクロに分析する、
ということはたとえばTwitterでもあまり為されていない。
それには全体の把握のための知識と理解が必要だからだ。
平たく言うと、これは「専門家の仕事」に属する。

僕は「マクロ」を支持したい。
社会問題を「ミクロ=個人の問題」と片付けることは考えることの放棄だ、と思う。

自己啓発が悪だ、とは言わない。
でも、それを自分が信じても、他人に適用するのはやめてほしい。

「自己責任だ」と言って他人が、そして世の中が改善されるのであれば
日本は極楽になってもいい頃だ。早く無駄な(むしろマイナスの)議論であることに気づいてほしい。
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カミオーカー

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秋田県出身海士町在住。
2009年春に某IT企業で
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2010年10月末から
海士町でいろいろ勉強中。
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